千葉を愛してやまない筆者のバレー&いろいろ日記。
マリーンズライフも随所に交えながら?
朝の2時頃、無事に帰ってきました。
職場は14階、下の階にいる方より揺れがひどかったようで、
免震構造ということもあり、ぐるんぐるん揺れました。
建物が壊れるかも、という気がした地震は初めてでした。
その後も余震が続き、地震酔いのようなものになりました。
結局、職場には連絡要員として2名残り(宿泊)、
私を含めた他の面々は帰ることに。
電車は動いていないので、当然、歩いて行くことになりました。
隣の部屋で千葉方面に帰る方にも声かけて、
「ポタリちゃん」をカバンに詰め込んで。
実家にもようやく連絡が取れて、無事を確認。
この日はバレーの練習日だったので、
着替え一式を持っていたことも、運が良かったです。
足が痛くなった同僚に靴下とシューズを貸して、難を逃れたり。
自分の革靴にも、前日にインソールを入れていたり。
やっぱり、何か「虫の知らせ」のようなものはあるのかもしれません。
千葉街道を整然と歩く、帰宅困難者の列。
コンビニも飲食店も営業しているところもあり、
トイレや休憩などにも非常に助かりました。
自転車屋さんに列ができていました。
買ってその場で乗って帰るという人もいたようです。
生きる力を試されます。
結局、6時間かけて市川まで歩きました。
市川からは(一緒に歩いてきた)職場の人の車に乗り、
千葉方面まで送ってもらいました。
幕張近辺の液状化は、ショッキングな光景でした…
しかも、家の前も、液状化してました。
幸いなことに、家の中はそれほど大きな被害はありませんでしたが。
その後、仮眠をとったのですが、
余震で壊れた自宅の夢などが出てきて結局休まらず、早々に起き出しました。
送ってくれた方は市川まで戻るのですが、大渋滞に巻き込まれたので、
とりあえずは、その連絡のやりとりなどをしながら、無事に帰れるまで支援したり、
交代勤務に備えたいと思います。
職場は14階、下の階にいる方より揺れがひどかったようで、
免震構造ということもあり、ぐるんぐるん揺れました。
建物が壊れるかも、という気がした地震は初めてでした。
その後も余震が続き、地震酔いのようなものになりました。
結局、職場には連絡要員として2名残り(宿泊)、
私を含めた他の面々は帰ることに。
電車は動いていないので、当然、歩いて行くことになりました。
隣の部屋で千葉方面に帰る方にも声かけて、
「ポタリちゃん」をカバンに詰め込んで。
実家にもようやく連絡が取れて、無事を確認。
この日はバレーの練習日だったので、
着替え一式を持っていたことも、運が良かったです。
足が痛くなった同僚に靴下とシューズを貸して、難を逃れたり。
自分の革靴にも、前日にインソールを入れていたり。
やっぱり、何か「虫の知らせ」のようなものはあるのかもしれません。
千葉街道を整然と歩く、帰宅困難者の列。
コンビニも飲食店も営業しているところもあり、
トイレや休憩などにも非常に助かりました。
自転車屋さんに列ができていました。
買ってその場で乗って帰るという人もいたようです。
生きる力を試されます。
結局、6時間かけて市川まで歩きました。
市川からは(一緒に歩いてきた)職場の人の車に乗り、
千葉方面まで送ってもらいました。
幕張近辺の液状化は、ショッキングな光景でした…
しかも、家の前も、液状化してました。
幸いなことに、家の中はそれほど大きな被害はありませんでしたが。
その後、仮眠をとったのですが、
余震で壊れた自宅の夢などが出てきて結局休まらず、早々に起き出しました。
送ってくれた方は市川まで戻るのですが、大渋滞に巻き込まれたので、
とりあえずは、その連絡のやりとりなどをしながら、無事に帰れるまで支援したり、
交代勤務に備えたいと思います。
PR